自分に自信が持てる?
2018年12月09日
こんばんは~☆
美容院に行くのでワクワクしている石坂です。何色にしようかなー、どれくらい切ろうかなーって。
11月が忙しくて行けなかったので2ヶ月ぶりなの。だから痛みたい放題…美容師さんに怒られそうヒエーッ!
ということで本題。本日の議題は「自分に自信が持てる?」です。
はーい、自信のある人手を上げてー!!!…いるかな?笑
自分に自信を持つ。言葉にすればすごく簡単で、単純なものです。
でも実際にはすっごく難しいことなんじゃないかな?と代表は考えています。
あんまり詳しくは話せませんが、先日、こんな相談が。
「自分に自信を持ちたくて無理やり頑張ってしまいます」…。これに私は「自信を持ちたいからって行動するのはすごく偉いと思います」と返しました。
自信が持ちたくても、自信がないが故に行動に移せない人はとても多いです。
これは相談を受けていたり、代表本人の過去から考えたりするとそういう結論に至る、という意味ですが。
そもそも自信って目に見えないし、形もない。手に入れるのは難しいモノです。
私だって自分に自信なんかありません。作業療法で作品を作っても自分のだけ劣って見えます。
そのくらい自信ないし、LINEの返信も毎回「これで良かったのかな?」「余計追い詰めちゃってないかな?」と心配になりながら書いています。
だから、その人みたいに「自身を持つために行動する」ってのは本当に凄いことだと思ったんです。
行動しても劣って感じてしまうから行動できないことの方が圧倒的に多いですからね。
どっちかがよくて、どっちかが悪い。と言いたいわけじゃありませんよ。
どっちも普通の人間的な反応ですから。私だってそうですし、みんなきっとそうだと思います。
自分に自信を持てなきゃダメ?いいえ。そんなことはありません。
むしろ、自信満々だったら何も変わらないと考えます。だって自信たっぷりの人は他人からの助言なんて耳を貸さないでしょうから。
でもね。この前書いたように(http://childrensos0511.naganoblog.jp/e2333841.html)、みんな頑張っています。
頑張っていない人がいるんだとしたら、それは「あれはヤダ。これは無理。」と最初から決めつけて何もしないわがままな甘ったれくらいのものです。そんな人、なかなかいません。みんな頑張っています。
だから自分をもう少しだけ評価してあげて欲しいです。
極端な話、朝起きれたら「私・俺、ちゃんと起きられた!」くらいに。夜寝る前に、「今日もいろいろあったけど頑張れた!」って。
急には無理だと思います。人は簡単には変われないものです。
でも、少しづつなら変わることができるのが人のいいところでもあります。少しだけ意識してみてください。
ちょっとだけ自分を評価してあげるように気を配ってください。
それができたら、自信が少しづつ持てるようになると思います。
あなたは評価されていい人です。それだけは間違いありません。
バスや電車が怖い!
2018年12月07日
寒いですね。この前は夏日になったかと思えば今度はすごい冬。皆さん体調は大丈夫ですか?
私は今日、ついに寒くて寒すぎて温かい飲み物を買ってしまいました。風邪とかは全然大丈夫ですが、寒かったです。
その寒い中何をしてたかというと、家に帰るバスを待っていたんですが、それが今回のお話に繋がります。
「バスや電車が怖い!」というお話です。これも結構ある相談です。
実のことを言いますと、代表もバスや電車は怖いです。
これはいろいろ理由があると思うので、私の例を書きますね。
私は、人が多く集まるところ、逃げられない空間、そして人の視線が怖いです。
だから、それの集合体な電車、バスはとっても怖いです。いつも乗る時は前もって頓服を飲んでおきます。
だけど、怖いけどバスや電車を使うしか無い場面ってありますよね。そんな時、私がどうやり過ごしているかについてもちょっと書いておこうと思います。
まず、頓服は必須ですがこれは無い人もいるので割愛。次に必須アイテムなのがWALKMANです。あ、私はSONYのWALKMAN派なんです、こんなにipotが普及してなおWALKMANを使っています。笑 そのWALKMANで最大音量で好きな音楽を流します。でもほとんど音楽には集中できないから聴くって感じでもないですが…。そして本を読んだりスマホをいじったりします。
ポイントは外からの刺激、視線をシャットアウトしてしまうことです。
そしてひたすら下を向いて、他人の視線が目に入らないようにします。これは結構重要で、他人の視線は「見られてる、怖い!」と思うものなので、それを自分から締め出してしまうんです。
あとは自分の世界にうまく入り込めれば怖さはかなり減ります。ちょっとむずかしいですが、慣れればすぐできるものです。
さてさて。電車やバスが怖い、パニックを起こしてしまうという人はかなりの数いるわけです。
不安とは、人間が持っている自然な恐怖の感覚で、安全が脅かされた難しい状況に直面した時に誰もが感じるものです。不安があることで、危険な状況を避け、用心深くなった、難に取り組むのではなく丁寧にする意欲がわいています。
ところが、その不安が強すぎると、やりたいと思っていることまで恐怖になります。
こういう状態になると、不安は病気と呼べるところで発展します。不安障害や恐怖症は珍しいものではなく、10人中1人が、一生のうちに一度はかかりるとされています。
つまり、電車やバスが怖いのは不安障害のひとつなわけです。だから病院に行ってみるのも大いにありです。もし病院に行けないようなら、さっき書いた、私のやっている方法を試してみてください。それでダメなら次策を一緒に考えましょう。
怖いのは、あなたが悪いわけではありません。怖い気持ちはよくわかります。
一緒に少しずつ克服していきましょうね。
アクセス制限とブログ
2018年12月06日
どうもー、代表です。って毎回思うけど変な挨拶。笑
家のお風呂が寒いし狭いしで冬は地獄です。今年は暖冬らしいけどもう既に寒いです、、。
ブログの更新のお知らせはTwitterとLINEでしているのですが、どうやら記事によってアクセス制限がかかって読めない子がいるようです。
時々聞くのが「この記事は読めたけどあの記事は読めない」みたいな話。不思議ですよね。
こればっかりはナガブロさんとアクセス制限をかけているキャリアの問題なので代表にはどうしようもないのが現状です。
もしかしたらカテゴリーの問題かもしれませんが、カテゴリーは変えるわけにはいかないので…
でも、嬉しいことにLINEやTwitterでお知らせすると皆さん読んでくれているみたいで、アクセス数が結構高くなっています。
書かなければ、お知らせしなければアクセス数一桁なんですが、お知らせすると三桁くらい行くこともあるので、それだけ皆さん読んでくれているんだなぁと嬉しく思っています。
中には「もっとブログ書いて欲しい」なんて声もあるので時間を見つけては書くようにしています。
大変だけどやりがいもあるし楽しく書いていますよ。特に病院の行き帰りでよくブログに何を書こうか考えています。
それで、なんですが、URLを押したけどアクセス制限で読めないです。という声をよく聞きます。
そんな時、大体の子が「ごめんなさい、読めません」って言うんです。でも、それ、あなたのせいじゃないから謝らないでください。
アクセス制限がかかっているのは、親御さんが心配してだったり、中には自分の管理下に置いておきたいからだったり、いろいろ理由はあると思いますが、それは別に悪いことじゃありません。なにも謝る必要は無いんです。
「読みたいです」と言われれば文面のコピーや、画像が入っていればスクリーンショットを撮って送るので気軽に言ってください。
むしろ、こんな至らない、更新頻度も高くないブログを読んでもらえていることに感謝しています。
本当にありがとうございます。
そして謝らないでください、悪いことは何もしていないのですから。
お手数おかけしますが、読めない場合は読めないと、読みたい場合は読みたいと私にLINEやTwitterで言ってもらえれば、コピーやスクリーンショットはすぐできるのでそれで送ります。
これからもこんな調子でゆっくりゆるく、いろんなことをブログにしていきたいと思っています。
どうぞこれからもよろしくおねがいします。
「頑張れ」という言葉
2018年12月05日
こんばんは。
病院からの帰り道、暑くてたまらなくてコーヒーショップに入り、謎のジュースを飲んだ代表です。

…これ、何ジュースだと思います?ちょっとクイズにしようかな。正解はブログの最後に書きますね笑
よく掛けられる声として、「頑張れ」というのがありますよね。
この言葉、私大っ嫌いなんです。だって頑張ってるもん。みんな頑張ってる。
よく、うつ病の人に頑張れと言ってはいけない、などと言いますよね。
確かにうつの時って指先を動かすことすらしんどいですし、起き上がるなんてもっての外だったりします。
そんな時に「頑張れ」なんて言われたくないし、言われても今は横になっているだけで精一杯、という感じだと思います。
だから、うつ病の人に頑張れと言ってはいけない、というのは冗談でもなく本当のことだと思います。
でも、普段人に「頑張れ」って言う人はたくさんいますよね。
これ、知ってほしいんですが、うつじゃなくても頑張れなんて言われたくない人はたくさんいます。
最近もLINEでそんな話をしたところですが、「頑張れ」って言葉は励ましているつもりでも残酷だと思っています。
口をついて出てくる気持ちもわかりますが、どうしても私はこの言葉が嫌いだし、同じように嫌いと思っている人も結構な数います。
簡単に言える言葉だからこそ、言う前に考えて欲しい言葉だと思います。
なんでかって、みんな一生懸命頑張っているからです。
たとえば仕事に就けなくて1日を家事で過ごしていたとしても、その人は家事を頑張っています。
もし仮に、学校に行けない子がいたとしてもその子は学校に行かなきゃいけないのにっていう罪悪感や行けない悲しさを一生懸命耐えています。
ちょっと考えてください。あなたは一生懸命頑張っていますよね?生きている上で頑張ってない人なんかいません。
そこにさらに追い打ちをかけるように「頑張って生きろ」とか言われて、励まされますか?嫌な気持ちにはなりませんか?
気軽に言われた「頑張れ」は、自分が一生懸命頑張っていることを否定された気持ちになる人がいます。
私も、誰かに「頑張れ!」と言われてしまうと、「私、頑張ってるのに認めてもらえてないんだ…」と感じてしまいます。
だから「頑張れ」という言葉は大嫌いです。自分でも使わないし、言われたくないです。
それだったら、「頑張ったね」と言われたい。でも、「頑張ったね」とも言われたくないときもありますが…。
頑張ってるのに、そこにさらに頑張れなんて言われても辛いだけです。
だから言わないでほしいんです。みんな頑張ってます、もちろんあなたも頑張ってます。
否定された気持ちにさせないでください。
他に適切な言葉が見つからないのかもしれません。私も、例えば「テストだけは頑張れ」なんていう風に言うことはあります。
もし誰かが何かに挑戦しようとしようとしていたり、何かを一生懸命やっているときなど、「頑張れ」と言いそうになったら、そんな時は代わりに「応援してるよ」「あなたなら大丈夫だよ」なんていう風に言ってほしいなと思います。
頑張ってることはしっかり認めてあげて、応援して欲しい。「頑張れ」の代わりに「応援してるよ」と言ってもらえるだけでかなり違います。
「そんな言葉1つで…」と思うかもしれませんが、本当に言葉1つで変わるんです。
「頑張れ」は時として人を追い詰める言葉だと気付いてほしいです。
さてさて、クイズの答えです。
正解は…「グァバ100%ジュース」でした!!まぁわかるわけ無いですよね。我ながら不思議なものを飲んだと思いました笑
というわけで、今回もお読みいただきありがとうございました。
死にたいと思う気持ちと選択肢
2018年12月04日
こんばんは~、ずっと正座してたら膝が痛くなった代表です。
今がんばって屈伸したら少し良くなりました笑
さていきなり本題です。
「死にたいと思う気持ち」…。リストカットに続きショッキングなお話ですよね。でもLINE相談の中にかなりの数あるんです。
死にたいと思うってことは、それだけ頑張ったってことですよね。
辛い中よく耐えてきたと思います。だから死にたいって思ったら「あぁ私・俺、頑張ったんだな」と思ってほしいです。
死にたいと思ったときは、他のことなんか頭に浮かばないものだと思います。
だから、そんなときは何もせずただボーッと時間が過ぎてしまうのを待ってみてください。もしかしたら死にたいが少し薄まるかもしれません。
私はなにも、生きていろ、生きること=絶対、正義、普通。などとは言いません。
中には終わらせるって、もう辞めてしまうって選択肢があったって悪くないと思っています。私だって、その選択肢があったなら今頃こうしてブログを書いていることはなかったでしょう。
私はとある薬を致死量を超えてオーバードーズし、自発呼吸停止の状態になって人工透析までされましたが、私には終わらせる、辞めてしまうという選択肢は与えられませんでした。だから今、こうやってブログを書けています。これは奇跡なのか、医者の力なのか、私の生命力なのか…。。わからないけれど、とにかく私はこうして生きていて、今を幸せと思えるようになっています。
でも、全員が生きていれば無条件に幸せになれるわけでもないし、自分で幸せと思わなきゃ幸せはやってきません。
だから、そう思えない人のために終わらせる、終わりにするっていう選択肢があってもいいと思うんです。
もちろん、LINEやTwitter、ブログのコメント欄などで私と関わってくれた人がその選択肢を選んでしまったら私はそれはそれは悲しいですし、沢山後悔します。誰だって、関わりのあった人には死んでほしくなんてありません。私の基本的な考え方は「知り合った以上、大切な人」なので、その大切な人に死なれてしまったら悲しみも後悔も、出しきれないほど出てくることでしょう。。
ちょっと考え方を変えてみましょう。
このブログを読んでくれているそこのあなた。私が、石坂好恵が死んだらどう思いますか?
嬉しいですか?悲しいですか?喜びますか?泣きますか?
あなたが死んだら、そういう感情になる人は少なからずいます。
誰もいない?私がココにいますよ。私が悲しいです。辛いです。後悔します。
…と、なんだか死んだらいけないみたいなことを書いてしまいましたが、死んでしまうにはまだ早い命を、本当に終わらせてしまっていいのか今一度、じっくり、その時の感情に任せるのではなく考えなおしてほしいということです。
それでも死にたい気持ちが消えなかったら私に言ってください。私があなたは死ぬべきなのかどうか判断します。
死にたいと考えるまで追い詰められてしまったときは、正常な判断ができないものです。だから第三者の私が決めます。
だけど、本当に終わらせたいのなら止はしません。なぜって、止めても意味がないと知っているからです。
私の友人は二十歳で死にました。オーバードーズでした。私は止めきれませんでした。その時わかったんです、終わらせると決意した人の意志の強さを。そして、死にたいと言われた時「死んだらだめだよ」と言うのを辞めました。死んだっていいんですよ。
でも人間にはいつか本当に死ぬべき時が来ます。それまでは生きてほしいというのが私の個人的な願いではあります。わがままです。
別に死ねって言いたいわけじゃありませんし、生きろと言いたいわけでもありません。
だって親の勝手で生まれてきて、つらい思いさせられて、終わらせることさえ自由にできないのはおかしいし、それを乗り越えて幸せを掴むか終わらせてしまうかはあなたの自由であるべきだからです。
だけどね、死にたいって思うってことは本当にあなたがそれだけ頑張った証です。だから自分を、本当は褒めてあげてほしいです。そういう思考ができるようになると、「死にたいさん」はいつの間にか近寄ってこなくなります。これは私が実際にやってみた方法です。
どうか一時の感情に騙されて命を落とすことがないように、第三者の私に話してください。なんだって聞きますよ。
そして、死にたいと思ったらそこまで頑張った自分を褒めてあげてください。すごく偉いです。
死にたいと思うのも、感情が働いている証です。少し考え方を変えることができれば、幸せになることだって不可能ではありません。
「死にたい」「もう終わらせたい」から「生きてみようかな」「生きてていいんだ」へ。
簡単なことではありませんが、あなたならできると、私は信じています。
代表のプロフィール(今更)
2018年12月03日
はーい・ω・
病院からの帰り道、行先の信号が全部青で嬉しかった代表の石坂です。
今回はリクエストもあったので、とっても今更ですが私の自己紹介をしようと思います。
多分、相談をくれる子には少し話したりしているので断片的に知っている人は数人いると思いますが、きちんと話すのはこれが初めてだと思います。ちょっと重ためのお話になるかもしれないので、メンタルが弱り気味の人は読まないほうがいいかもしれないです。
重たくならないようには気をつけますね、、、。
私の両親は、私が1歳半の時離婚しました。私は母親のもとに引き取られ、母親は再婚。でもその再婚相手は母にも私にも暴力を振るう人でした。私をやらないと母がやられる。裸のまま外に出されたり、お腹を蹴られることもしょっちゅうでした。
その生活は12年続き、私は何度も児童相談所に保護されましたが、本当に助けてくれる人はいませんでした。唯一、母方の叔父が真剣な顔で児童相談所に来て、私の目を見て「お前、うちの子になれ。」と言ってくれましたが、それが実現することはありませんでした。
そして12歳の10月、私は児童相談所の職員に「このままでは私死んでしまう、家じゃないところで暮らしたい。」と言い、様々な手続きの結果、児童養護施設に入りました。
中学3年間を児童養護施設で過ごしましたが、その間に母は何度か離婚、再婚を繰り返していました。
そして、私は施設でもどうしても女の子のグループに入れず、中のいい子はいましたがあまり楽しくない毎日で、しかも学校にも馴染めず、支援学級で勉強していたため楽しい学校生活というわけにもいきませんでした。でも、殴られなくて済む、食事ができる、安心して眠れる、施設は私にとって多少のいざこざがあっても天国でした。保護されてよかったと心から思いました。
そして…12歳の冬。私は筆箱に入っていたカッターで手首を切りました。
耐えられなかったんです。死にたくて仕方ありませんでした。どうしてこんな思いしてまで生きてなきゃいけないの、と。この頃から自分を責める幻聴が聞こえ始めましたが、はじめ幻聴だとは気付きませんでした。
そのあと母はまた再婚し、私は施設を出て母のもとに帰りました。
どうしても楽しい学校生活というものが想像できなかった私は、高校には行きたくありませんでした。ですが、母と施設の先生、そして学校の先生のすすめでイヤイヤ私立高校を受験し、合格してしまったので通うことになりました。
一年生のころは成績もよく、クラスメイトとも仲良くなれて(俗に言う高校デビューってやつです)楽しかったのですが、弓道部だった私は顧問からのいじめに遭い、さらにリストカットも12歳から辞められず、二年生の終わりに校長から「命を大切にできない人は本校に必要ない」と言われ退学処分になりました。
しばらく引きこもって暮らしましたが、一度高校に通ったのに高卒が取れなくなってしまったことは悔しかったです。
私は元来、負けず嫌いなんです。そうしたら、母が「アンタ高卒欲しいならどこの学校でもいいから資料持ってきなさい」と言ってくれました。そこで私は通信制であり学校に通うコースがある学校を見つけ、資料を取り寄せ、母に見せて相談の結果その学校に3年生として入れることになりました。学校には通い、友だちもでき、無事に一年で卒業、高卒を取ることができました。
そのあと何故か意欲がわき、AO特待で保育、教育、福祉の専門学校を受け、AOで合格、同時に短大通信部にも合格したのですが、途中で自殺未遂。幻聴も更に酷くなり2回精神科病棟に入院しました。通うことが難しくなってしまったため自主退学せざるを得ない状況でした。悔しくて、ネームプレートを抱きしめて部屋でひとり、泣きました。
それから私は外に出ることも嫌になり、カーテンも開けず部屋に引きこもっていました。リストカットは激しくなり、神経を傷つけたこともありました。
そのあと摂食障害を発病し、拒食になった私は166センチなのに42キロまで体重が減りました。
何もできない自分に嫌気が差し、ボランティアをはじめたのですが、そこで運命的な出会いをします。ストーカーと、出会ったのです。
はじめはお手伝いだったのが、誰もいない家に入り込まれたり待ち伏せをされたりするようになりました。そんなことが3年間。何度も母と、警察に相談に行きましたが助けてはもらえませんでした。
拒食が少し良くなり始めた頃、「施設の子はかわいそう」という言葉を聞き、反論したくなった私は、電車やバスがパニックを起こしやすく怖いことも忘れて、自分ひとりで旅行したことがないことも忘れて悠々ホルンさんに会いに行きました。
そこで手を上げ、つらい思いをしている子のためにナニカしたい。そのためには何から始めればいいのか。というようなことを震える声で聞きました。ホルンさんは「企画書を作ってみたらどうかな。」と言ってくれて、長野に帰ってきた私はバカ正直に企画書を作り、ホルンさんに送りつけました。
その企画書をホルンさんが褒めてくれて、それをもとに非営利で団体が始まりました。代表二十歳、長野県は善光寺御開帳に盛り上がっている時期でした。
しかし、ストーカー被害が悪化し、私の幻聴や病気の症状も悪化してしまうことになりました。それが原因で一ヶ月、精神科に入院しました。そのうち1週間は保護室でした。入院でだいぶ症状が改善し、やっとストーカーにも警察から近寄ってはいけないと厳重注意処分してもらえました。そして退院し、金土だけバイトをしていたのを再開しました。
それで今に繋がるのですが、今は症状もかなり安定し、自傷もしなくなったし幻聴もありません。ストーカーは懲りずに連絡してくる時があるけど、すぐに警察に連絡します。
それだけ安定したから、このブログやLINEができているというわけです。だから安心してください。
正直に言います。私は精神障害者です。統合失調症、解離性同一性障害、PTSD、摂食障害などいろいろな病気を併発しています。
でも、これは同情をひくために書いているのではありませんし、私は今幸せです。デイケアや作業療法、20代30代の集まるグループなどに通い、自分の病気や障害と仲良く暮らしています。元気だから、LINEやブログをすることもできています。時々メンタルの調子が悪い日もありますが、そんな日はもう諦めてお布団と仲良ししています。
みなさん安心してください。私もつらい思いをたくさんしたけど今幸せで、悩みを聞いたり言葉を代弁するようなブログを書いたりできています。あなたも幸せになれる日が必ず訪れます。大丈夫です。
今更なプロフィールでしたが、これで代表がどんな人なのか少しわかったでしょうか??
こんな人だし変わり者だけど、ちゃんと生きてますよ。


病院からの帰り道、行先の信号が全部青で嬉しかった代表の石坂です。
今回はリクエストもあったので、とっても今更ですが私の自己紹介をしようと思います。
多分、相談をくれる子には少し話したりしているので断片的に知っている人は数人いると思いますが、きちんと話すのはこれが初めてだと思います。ちょっと重ためのお話になるかもしれないので、メンタルが弱り気味の人は読まないほうがいいかもしれないです。
重たくならないようには気をつけますね、、、。
私の両親は、私が1歳半の時離婚しました。私は母親のもとに引き取られ、母親は再婚。でもその再婚相手は母にも私にも暴力を振るう人でした。私をやらないと母がやられる。裸のまま外に出されたり、お腹を蹴られることもしょっちゅうでした。
その生活は12年続き、私は何度も児童相談所に保護されましたが、本当に助けてくれる人はいませんでした。唯一、母方の叔父が真剣な顔で児童相談所に来て、私の目を見て「お前、うちの子になれ。」と言ってくれましたが、それが実現することはありませんでした。
そして12歳の10月、私は児童相談所の職員に「このままでは私死んでしまう、家じゃないところで暮らしたい。」と言い、様々な手続きの結果、児童養護施設に入りました。
中学3年間を児童養護施設で過ごしましたが、その間に母は何度か離婚、再婚を繰り返していました。
そして、私は施設でもどうしても女の子のグループに入れず、中のいい子はいましたがあまり楽しくない毎日で、しかも学校にも馴染めず、支援学級で勉強していたため楽しい学校生活というわけにもいきませんでした。でも、殴られなくて済む、食事ができる、安心して眠れる、施設は私にとって多少のいざこざがあっても天国でした。保護されてよかったと心から思いました。
そして…12歳の冬。私は筆箱に入っていたカッターで手首を切りました。
耐えられなかったんです。死にたくて仕方ありませんでした。どうしてこんな思いしてまで生きてなきゃいけないの、と。この頃から自分を責める幻聴が聞こえ始めましたが、はじめ幻聴だとは気付きませんでした。
そのあと母はまた再婚し、私は施設を出て母のもとに帰りました。
どうしても楽しい学校生活というものが想像できなかった私は、高校には行きたくありませんでした。ですが、母と施設の先生、そして学校の先生のすすめでイヤイヤ私立高校を受験し、合格してしまったので通うことになりました。
一年生のころは成績もよく、クラスメイトとも仲良くなれて(俗に言う高校デビューってやつです)楽しかったのですが、弓道部だった私は顧問からのいじめに遭い、さらにリストカットも12歳から辞められず、二年生の終わりに校長から「命を大切にできない人は本校に必要ない」と言われ退学処分になりました。
しばらく引きこもって暮らしましたが、一度高校に通ったのに高卒が取れなくなってしまったことは悔しかったです。
私は元来、負けず嫌いなんです。そうしたら、母が「アンタ高卒欲しいならどこの学校でもいいから資料持ってきなさい」と言ってくれました。そこで私は通信制であり学校に通うコースがある学校を見つけ、資料を取り寄せ、母に見せて相談の結果その学校に3年生として入れることになりました。学校には通い、友だちもでき、無事に一年で卒業、高卒を取ることができました。
そのあと何故か意欲がわき、AO特待で保育、教育、福祉の専門学校を受け、AOで合格、同時に短大通信部にも合格したのですが、途中で自殺未遂。幻聴も更に酷くなり2回精神科病棟に入院しました。通うことが難しくなってしまったため自主退学せざるを得ない状況でした。悔しくて、ネームプレートを抱きしめて部屋でひとり、泣きました。
それから私は外に出ることも嫌になり、カーテンも開けず部屋に引きこもっていました。リストカットは激しくなり、神経を傷つけたこともありました。
そのあと摂食障害を発病し、拒食になった私は166センチなのに42キロまで体重が減りました。
何もできない自分に嫌気が差し、ボランティアをはじめたのですが、そこで運命的な出会いをします。ストーカーと、出会ったのです。
はじめはお手伝いだったのが、誰もいない家に入り込まれたり待ち伏せをされたりするようになりました。そんなことが3年間。何度も母と、警察に相談に行きましたが助けてはもらえませんでした。
拒食が少し良くなり始めた頃、「施設の子はかわいそう」という言葉を聞き、反論したくなった私は、電車やバスがパニックを起こしやすく怖いことも忘れて、自分ひとりで旅行したことがないことも忘れて悠々ホルンさんに会いに行きました。
そこで手を上げ、つらい思いをしている子のためにナニカしたい。そのためには何から始めればいいのか。というようなことを震える声で聞きました。ホルンさんは「企画書を作ってみたらどうかな。」と言ってくれて、長野に帰ってきた私はバカ正直に企画書を作り、ホルンさんに送りつけました。
その企画書をホルンさんが褒めてくれて、それをもとに非営利で団体が始まりました。代表二十歳、長野県は善光寺御開帳に盛り上がっている時期でした。
しかし、ストーカー被害が悪化し、私の幻聴や病気の症状も悪化してしまうことになりました。それが原因で一ヶ月、精神科に入院しました。そのうち1週間は保護室でした。入院でだいぶ症状が改善し、やっとストーカーにも警察から近寄ってはいけないと厳重注意処分してもらえました。そして退院し、金土だけバイトをしていたのを再開しました。
それで今に繋がるのですが、今は症状もかなり安定し、自傷もしなくなったし幻聴もありません。ストーカーは懲りずに連絡してくる時があるけど、すぐに警察に連絡します。
それだけ安定したから、このブログやLINEができているというわけです。だから安心してください。
正直に言います。私は精神障害者です。統合失調症、解離性同一性障害、PTSD、摂食障害などいろいろな病気を併発しています。
でも、これは同情をひくために書いているのではありませんし、私は今幸せです。デイケアや作業療法、20代30代の集まるグループなどに通い、自分の病気や障害と仲良く暮らしています。元気だから、LINEやブログをすることもできています。時々メンタルの調子が悪い日もありますが、そんな日はもう諦めてお布団と仲良ししています。
みなさん安心してください。私もつらい思いをたくさんしたけど今幸せで、悩みを聞いたり言葉を代弁するようなブログを書いたりできています。あなたも幸せになれる日が必ず訪れます。大丈夫です。
今更なプロフィールでしたが、これで代表がどんな人なのか少しわかったでしょうか??
こんな人だし変わり者だけど、ちゃんと生きてますよ。


イベントありがとうございました!
2018年12月02日
11月25日、長野市ふれあい福祉センターで「親子の気持ちトークセッションPart1」を行いました。
ゲストに悠々ホルンさんhttp://music.geocities.jp/u2horun/をお迎えし、小規模で和やかなイベントになりました。
主に話した内容は、「親にこうしてほしかった」「親になったらこうしたい」というテーマに沿ったものです。

このように付箋に「親にこうしてほしかった」「親になったらこうしたい」を書き、それを皆で模造紙に貼って行きました。そしてそれを回りながら読んで、それについての感想…(同感!とか皆はするの?とか)を書いていきました。
その中から全員でピックアップしてトークテーマにしたのが「褒めてほしい」でした。
「親に褒めてほしい」という願い。結構切実ですよね。
例えば学校のテストで98点を取ったとして、取れなかった2点を責めるのではなく、取れた98点を褒めてほしい。
自分がそうしてもらえなかったから、自分のこどもができても褒めてあげられる自信がない、などなどの意見が出ました。
否定意見を言うにしても、一度「うん、そうなんだね」とワンクッション置いてほしい、等の意見もでました。
一度受け止めてほしい。頭ごなしに否定しないでほしい。なんでもダメダメって言わないでほしい。つまり、全否定ではなく、認めるべきは認めてほしい、と。
あとは、「こどもが欲しい気持ちがわからない。」という不安の声もありました。
それについては、例えば仕事先で後輩が何度も同じミスをして覚えていくように、子育ても何度も繰り返し教え、親も失敗してこどもと一緒に育っていけばいいのではないか、というような意見が出て、それについても全員で結構長く話し合いました。

他にも、「親を信用したい」「怒るときは理由を明確にして欲しい」などの意見が出ました。
そして、どうしたら親を信用できるのかについても話し合いました。やはり、認めてもらえること、一度受け止めてもらえること、怒るときは理由を明確にしてもらうこと等が親を信用する一番の方法なんだという結論に至りました。
最初こそ緊張や初対面のよそよそしさみたいなものがありましたが、イベントが進んでいくにつれ皆さん打ち解けてくださって、笑いや冗談も飛び交う本当にいい雰囲気のイベントになりました。
今回、悠々ホルンさんが歌ってくれた曲は
1,メッセージ
2,この世界キミと共に
3,ココに居ていいですか
3,be alive
5,おかえり
でした。今回は小規模なトークセッションだったので、まさか5曲も歌っていただけるとは嬉しい驚きでした。
本当にありがとうございました、と伝えたいです。
ちなみにホルンさんの長野でのイベントのブログはこちらです→https://ameblo.jp/u2-horun/entry-12421659605.html

まとめとしては、「「ほめる」ことや「怒るときに理由を伝える」ことが「信じる」ことに繋がる」」という話になりました。
大人になってなお、親を信用しきれず苦しんでいる方もいます。もしこのブログを読んでいる、お子さんがいる方がいたら、お子さんを「褒めて」「認めて」「怒るときには「理由を伝えて」欲しいと思います。

今年始めてやった試みで、懇親会がありました。
なんと全員が参加してくださり、代表の古くからの友人のお店で和やかに、笑ったり泣いたりしながら行うことができました。
ラーメン屋さんだったのですが、皆で好きなラーメンを食べたり好きな飲物を飲んだりして、和気あいあいという感じで懇親会ができました。
ホルンさんにこどものSOSを歌い始めたきっかけをお聞きしたり、代表が団体を作ったきっかけを聞かれたりと真面目な話から笑い話まで、話題が尽きませんでした。
そしてそして、スタッフをしてくれた「はるちゃん」に感謝です。
ひとりで大変だっただろうし、人前で話したりするのも得意でないのに頑張っていろいろと話したり、ホルンさんのお見送りをしてくれたりしました。いい意味でも悪い意味でもいろいろ考えさせられた1日だったけど楽しかった、と言ってくれました。代表としてはスタッフひとりで負担が大きかったのではないかと不安ですが…。
解散後、ふたりでカフェに行ってちょっとしたお疲れ様会をしたのですが、はるちゃんは楽しかった、大成功だねと言ってくれました。
私も、今回のイベントは大成功だったと思っています。
もちろん反省点もありますが、それを活かしつつまた来年、再来年とイベントができればいいなぁと思っています。
悠々ホルンさん、ご参加くださった皆さん、応援しているよと声をかけてくれた皆さん、そしてはるちゃん。
本当に本当にありがとうございました!
みなさんのおかげで団体活動ができていると、心から思いました。
そして、ともすれば重くなりがちなテーマをみんなでシェアできたことは大きな意味があると思っています。
とうわけで、以上、イベントの報告でした。
これから来年のイベントのことを考え始めます!代表頑張るよ!!